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海の絵 について aoubt
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海の絵を目の前にされた方は
はじめ驚き、そのあとおだやかになられ、 最後に目を輝かせられます。


こちらから見ていると 朗らかな笑みを得ておられます。
このページでは、
この表情の変化の内容と絵画の存在意味などを文にして表しました。




はじめ 色彩に目を丸くされ、その後 リラックスされ、最後に さあ行こうか、 新たな一歩を、という意識の動きをされています。


一つずつ現象をたどります。
絵の具の持つあざやかな色を見て驚かれます。それは、普段の生活の中で油彩や アクリルなどの絵の具の色を見ることが稀であることが一つと、
制作の過程で、下地塗りをせずに青を薄くのせているので、キャンバスの白地が光をよく 反射し色を明るく伝えていること、また、 混色がほとんどないように進めるているので絵の具の持つ”純色”という高彩度の色彩 を視覚が捉えていることが、色の粒子への驚きの反応であると考えられます。


次に、おだやかさやリラックスを得られるのは
思考に片寄よらないよう感性に基づき制作していることが関係します。
技法も感性に基づき表現できる方法になっています。

思考は論理であり、こうで こうだから こうなる、というように順序を整理し、判断をする働きをします。 例えば絵を見たときは、形と大きさと色と明暗 が正確、忠実なとき、完璧だとし、 正確でないとき一般に下手と判断します。
感性は、この場合は、完璧さに満足、(不)完璧さに不満足さを感じ、表情や言葉として表現します。


しかし、
とくに子どもの作品を見たとき、形や色が正確でなくても、正確に作られたものより、 リアルを感じたりホッとしたりすることが多々あります。
思考を基にしてではなく感性に基づいて制作しているからです。


作品を見るとき、思考や感性以外の様々な感覚を通して、色や形などの判断だけでなく、 制作過程や作者の心境をも読み取っています。
機械で作られた物を見たとき、ミリ単位で正確さを読み取りその完璧さに喜ぶものの、 その物からは何も感じず、(だからすぐに捨てることが出来ているのでしょうが)  人の手で作られた物は、機械とは異なるエネルギーを出していることは感じていらっしゃることです。 このように、制作過程を読み取り、作者の心を感じることが出来るのは、その一瞬一瞬に粒子粒子に 思いがこもるからです。
したがって
思考に基づいて作られた物を見たとき、見る人の意識は主に思考側にあり、 感性に基づいて作られた物を見たとき、見る人の意識は主に感性側にあります。


大人になり、自分という意識を持ってから、意識の多くは思考側に居ます。 私は○○だと自分を思考(その時自分が持っている知識情報)で定義し、また自分の上に知識情報の服を着せて、こうすべきとか、人前で泣いたり怒ったりしないなど感情の表現を制御し、 感性の働きを抑制していることが多々ある現代社会であり、大人社会でありますが、
制御ある思考側から離れ感性側に移ると、そこには
素の自分がいます。素(もと)のありのままの自分なので、開放されていて、落ち着きリラックスした状態です。


思考(知識情報)による抑制が解け、緊張が解け、リラックスを得ます。
海の絵を見られた後、「ホッとする。」とよく言われます。
そして
リラックスの後にいい発想が出ます。科学的にも立証済みです。





これらが、絵を前にされたときに起こる意識の移り変わりの内容です。


絵には、このように、ひと目での影響力があります。

表層部分の意識では気付いてないようで、だからこそ、その影響は、実はダイレクトです。








追記

大量生産社会のもと、プリントが出まわり本来絵画の持つ力への気付きが薄くなっているのは事実です。 プリントも色が綺麗で全く力が無いわけではありませんが、原画に比べればその力の存在感と生命感は大きく異なることは、 感じておられることです。
このように書いておいて、私もプリントの販売はして来ました、上記の意識の移りは多少はされて喜んで いただけますが、原画を見られたときとに比べたら反応の度合いが低いです。
プリントは機械の物なので、周囲がコンクリートや大量生産下の物の中ならば、気づくことさえ ないこともあります。人の手によって作られた原画は大量生産社会の中であるから異なるエネルギーを感じられ、 思考社会であるから感性に基ずく作品の影響力が貴重です。
感性に基ずく作品といっても様々な感情で作られているので、自分が求めるもの、また実際に作品を目の当たりにして感性の反応をみて選ぶ必要はあります。


感性につなげて居させてくれる絵画としては、結局は幼い子どもの作品がベストともいえます。 印象派の作品も感性に基づき制作されています。その当時は思考が占める絵画社会で、写真のように描かれた 細部までの完全さをよいと捉えていましたので、塗り方が雑など酷評を受けました。 実際近くで見ると乱雑とも言えます。しかし細部を見るという行動はすでに判断を始めており、 制作中も細部にこだわり始めるとその時の意識は思考側に入っています。  幼い子どもの作品は現代では特に貴重です。これらのことが、思考が占める社会において否定されても、数十秒に一人が自殺する日本社会 であり続けるよりは、文にしてでも表す意味があり、思考社会で占めることで自分の首をもしめている人を救えるものでもあります。
しかしながら、絵画の力だけでなくても、サッカーを見てもご理解されているように、思考のパターンによるパスやシュートではなく直感的な動作に変わってきて いることや、ぶれない、ありのままでいる人たちが増えてきていることをみると、社会の変化も近いようです。


意識は、思考側によく滞在している人と感性側にいる人など、いろいろですが 美術や音楽はわずか一瞬でそのどちらにも突然に割って入ります。

絵画や彫刻、音楽も有名だからとしても、それが鑑賞者にどのような働きをするのかは様々です。 絵や作品は潜在意識といわれる部分に物言わず直に働きかけてくるので、自分の感性をみて選択する 必要があります。所有欲や所有見栄という感性で選ぶのはその方の歩みであると考えています。
求める色があるならその色を見るだけでも、心中の要求が解消され心の平安を得ることができます。


絵画も様々あり、一瞬で、まさしく一目での影響力を持っているので、そのときどきに欲するものや その時とその場に適するものを選択すれば、絵画もそこに居る人も真価を発揮します。
絵画は尊い存在です。







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